サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 

第28章 新しい外套息 

 

~イスラエルの国の分裂より、カトリックとプロテスタントの分裂を見ていく~ 

 

【テキスト】Ⅰ列王記11:29-32

29.そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。

30.アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、

31.ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。

32.しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。

 

本日は「新しい外套」という題でメッセージします。

 

外套と国を分けることとが関係があるということを見ていきたいと思います。順に見ます。

 

 

 

 

29.そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。

 

ヤロブアムとは誰かと言うと北イスラエルの王となる人物です。ダビデ、ソロモンにより建て上げられ、確立したイスラエル王国はその子、レハベアムの時まで分裂することなく、12部族が皆、一つの国として存在していました。教会時代で言えば、キリストにより始められたキリスト教会が、分裂することなく、一つの国、一つのグループとして存在していた頃のことを予表しています。しかし、この時、イスラエル12部族は分裂し、イスラエル10部族と南のユダ2部族とに分かれてしまうのです。

 

「アヒヤは新しい外套を着ていた」

 

さて、そのヤロブアムに対して預言者アヒヤはこの国が分裂することを預言するのですが、その時、一つ注目すべきことがあり、それは、彼、預言者アヒヤはその時、新しい外套を着ていたことです。

 

30.アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、

31.ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。

 

彼、ヤロブアムはダビデ、ソロモンの血筋と関係ない人物なのですが、しかし、彼はイスラエルの10部族を治めるようになりました。すなわち、イスラエル10部族は、キリストの予表であるダビデの血と無関係になってしまったのです。このことは、教会時代に関する予言でもあります。教会時代においても、キリストの血と無縁、キリストの血による贖いと無縁な行いによる救いを重要視する、カトリックが教会の大きな位置を占めるようになるからです。

 

なぜ、イスラエル12部族は分裂し、その10部族はダビデと血のつながりがないヤロブアムの手に渡されたのか?それは、民の不信のゆえです。同じく、何故キリスト教会は分裂し、その半分はキリストの血と無縁なカトリックの手に渡されているのか?それは教会の不信のゆえであり、決してほめられたことではないのです。

 

32.しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。

 

ダビデ、ソロモンの血筋に連なる部族としてたった一つの部族が残りました。それは、ユダ部族のことです。ユダには御心があり、キリストもユダの部族として生まれ、また美のきわみと言われたエルサレムもユダに属します。明らかに聖書の中で神の御心はこの一つの部族ユダにあり、神の目がここに注がれていることが分かります。逆に北イスラエルは、人間的には大きく偉大なように見えるのですが、しかし、神の目には遠いものとして描かれています。人間的には大きいとは?

*すなわち12部族の国名であったイスラエルの名はこの国に引き継がれ、

*人数的にも、部族数も多い、

これはカトリックにもあてはまり、

*世間的には、カトリックはキリスト教会の代表のように思われ

*人数的にも多い

のですが、しかし、この教会は神の目には遠い教会なのです。

 

ついでに言いますが、「カトリックは教会の始めから存続したので、正統な教会である。しかし、プロテスタントはルターの時から存続したのだから、正統な教会ではない」という理論があります。しかし、上記12部族の分裂を考えるならこの理論は間違いです。ユダは1部族に過ぎませんが、しかし、途中からできたのではなく、かえって歴史的には、ダビデ、ソロモンに連なる部族なのです。

 

同じくプロテスタントの人々の歴史もかつてのペテロ、パウロの信仰的な時代に連なります。ルターの時、カトリックの道を選び続ける人々(イスラエル10部族に匹敵)とあくまで、主に着く人々(ユダ族に匹敵)とに分かれたのです。だから、この主に着く人々はルター宗教改革の時、突然現れたのではありません。そうではなく、その時、宗教改革の時までは、主に着く人々も、また、法皇の偽りにくみする人々も一緒に一つの国、一つの教会として暮らしていたのです。そして、この時、ルターの時に、分裂したのです。

 

ルターの時、分裂してプロテスタントとなった人々、すなわち、聖書に忠実に立つ人々の歴史は、綿々と主イエスの時、ペテロの時に連なるのであり、それはユダ部族の歴史がダビデ、ソロモンに連なるのと同じです。

 

本日はとりあえず、イスラエルの国が分裂したこと、そのことを語るのに聖書は、裂かれた新しい外套について語っている、そのことを見ました。次回へ続きます。

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

-以上-