サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 

第37章 漏出を病む者 

 

~汚れた教会の存在と、そこからのきよめと解放について~ 

 

【テキスト】レビ記15:2133

21.また、その女の床に触れる者はだれでも、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。

22.また、何であれ、その女のすわった物に触れる者はみな、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。

23.その女の床であっても、すわった物であっても、それにさわった者は夕方まで汚れる。

24.また、もし男がその女と寝るなら、その女のさわりが彼に移り、その者は七日間汚れる。彼が寝る床もすべて汚れる。

25.もし女に、月のさわりの間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出がある場合、あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある間中、彼女は、月のさわりの間と同じく汚れる。

26.彼女がその漏出の間中に寝る床はすべて、月のさわりのときの床のようになる。その女のすわるすべての物は、その月のさわりの間の汚れのように汚れる。

27.これらの物にさわる者はだれでも汚れる。その者は衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。

28.もし女がその漏出からきよくなったときには、七日を数える。その後にその女はきよくなる。

29.八日目には、その女は山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取り、それを会見の天幕の入口の祭司のところに持って来なければならない。

30.祭司は一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげる。祭司は、その汚れた漏出のために、主の前でその女のために贖いをする。

31.あなたがたは、イスラエル人をその汚れから離れさせなさい。彼らの間にあるわたしの幕屋を汚し、その汚れたままで彼らが死ぬことのないためである。」

32.以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、

33.また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。

 

本日は、「漏出を病む者」というテーマでこの箇所を見ていきたいと思います。

 

 

 

 

テキストに沿ってみます。

 

21.また、その女の床に触れる者はだれでも、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。

 

漏出を病む女は、何のたとえでしょうか?もし、女が教会のたとえとするなら、漏出を病む教会、悪い霊を撒き散らす教会というものが存在することになります。名指しで恐縮ですが、カトリック教会などその良い例でしょうか。この教会は漏出、すなわち悪霊を垂れ流す教会であり、これに関わる者は、みな悪霊の影響を受けます。

 

言いがかりという意見もあるかもしれませんが、論より証拠、実態がそのことを裏付けます。たとえば、ロザリオの祈りは神ならぬ悪霊マリヤへの祈りです。そんなものに祈って良い結果など起きるはずもなく、この祈りを通して、悪い霊の影響を受けたり、幻視したりします。精神的に病む人もいます。

 

血の涙を流すマリヤの像だの、体に受ける聖痕なども聖霊というより、悪霊の仕業です。この女、教会に触れるものは汚れるのだということを理解しましょう。

 

この教会では、聖職者のスキャンダルが多いとのことですが、うべなるかな、この教会に流れる霊がろくなものでないことを物語っています。

 

毎日健康なミルクを飲む子は成長して体が大きくなりますが、毎日砒素入りミルクなんか飲む子供は不健康になり死んでいきます。何を飲むかでそれを飲む人の結果は異なります。その伝で言うなら、スキャンダル頻発のこの教会がどんな水、どんな霊を飲んでいるかは明白です。この教会に流れる霊が、ろくでもないものであることは、結果が物語り、論議の余地はありません。同じく、よくスキャンダルが起きると言う第三の波マンセー系の教会もろくでもないものを受けているのでしょうか。

 

22.また、何であれ、その女のすわった物に触れる者はみな、その衣服を洗い、水を浴びなければならない。その者は夕方まで汚れる。

23.その女の床であっても、すわった物であっても、それにさわった者は夕方まで汚れる。

24.また、もし男がその女と寝るなら、その女のさわりが彼に移り、その者は七日間汚れる。彼が寝る床もすべて汚れる。

 

女と関わりのある者は、皆汚れることがここに書かれています。女はまた教会のたとえでもあります。

 

黙示録にはテアテラの教会における女、イザベルについて書かれています。以下の通りです。

 

参照 黙示録2:20-23

20.しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

21.わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

22.見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行なう者たちも、この女の行ないを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

23.また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。

 

この黙示録の箇所では、イゼベルという女と関連して、「見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行なう者たちも、この女の行ないを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。」と書いてあります。

 

これはまた、上記レビ記の「また、もし男がその女と寝るなら、・・・彼が寝る床もすべて汚れる。」との記述とまさに符合します。

 

ですから、レビ記に書いてある女の汚れとはまさに、姦淫の教会と関係することに関する罪であることがわかるのです。姦淫の教会とは何か?それは、真の夫であるあがなう方キリストを離れ、獣法皇だの、悪霊マリヤの偶像だの聖人礼拝だのにうつつをぬかすカトリック教会のことです。そして、その女と姦淫を行う者とは、この教会の罪を指摘するわけでもなく、愚かにも容認し、この姦淫の教会と共に一つとなるとの運動、エキュメニカルに同調する姦淫予備軍こと、愚かな福音派の面々のことです。

 

25.もし女に、月のさわりの間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出がある場合、あるいは月のさわりの間が過ぎても漏出がある場合、その汚れた漏出のある間中、彼女は、月のさわりの間と同じく汚れる。

26.彼女がその漏出の間中に寝る床はすべて、月のさわりのときの床のようになる。その女のすわるすべての物は、その月のさわりの間の汚れのように汚れる。

 

血の漏出について書かれています。血は霊についてのことばであり、悪い霊が出てくることについて書いてあるのです。ですから教会の汚れとは、会堂がきれいかどうか、よく清掃してあるかどうかではないのです。そうではなくて、その教会を通して血の漏出があるかどうか、悪い霊に触れるかどうかが問題なのです。プロテスタントでも第三の波の怪しいリバイバルを受け入れている教会はまさにこの汚れた女、汚れを漏出する教会になりつつあります。

 

教会へ行って悪い霊を受けるなんて、悪い冗談みたいな話ですが、残念ながら、これが終末の日の現実です。世の中もそうなっています。病気予防の予防接種でかえって重い病気になる人もいます。輸血を受けたら命が助かるのではなく逆にC型肝炎になったりするし、また薬害エイズになったりもします。病院へ行って院内感染でかえってさらに悪い病気になる人もいます。食べるものは科学が進むにつれて益々安全で便利になるかと思いきや、かえって益々危険で悪いものになっています。危険な遺伝子組み換え食品は、小麦、とうもろこし、米と増えてきており、誰も防ぎようがありません。学校へ行ったら、子供が礼儀正しく、勉強ができるようになるかと言えば逆になりつつあります。かえっていじめを受けたり、学ぶことに絶望したりするのです。そう、世の中何もかも逆になっており、だから教会も例外ではないのです。

 

27.これらの物にさわる者はだれでも汚れる。その者は衣服を洗い、水を浴びる。その者は夕方まで汚れる。

28.もし女がその漏出からきよくなったときには、七日を数える。その後にその女はきよくなる。

29.八日目には、その女は山鳩二羽か家鳩のひな二羽を取り、それを会見の天幕の入口の祭司のところに持って来なければならない。

 

教会が汚れから解放され、クリスチャンが悪い霊から解放されるにはどうすればよいのでしょうか?それには鳩が関係します。鳩を捧げるのです。具体的には聖霊のたとえなのです。私たちが祈りその中で聖霊に触れるなら、それにより、きよめられてくるのです。

 

30.祭司は一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげる。祭司は、その汚れた漏出のために、主の前でその女のために贖いをする。

31.あなたがたは、イスラエル人をその汚れから離れさせなさい。彼らの間にあるわたしの幕屋を汚し、その汚れたままで彼らが死ぬことのないためである。」

 

ここでは、イスラエル人をその汚れから離れさせることについて書いてあります。

 

汚れた女と関係を持つ時、彼らは汚れたままで死に裁きに直面します。

 

32.以上が、漏出のある者、また精を漏らして汚れた者、

33.また月のさわりで不浄の女、また男か女で漏出のある者、あるいは汚れている女と寝る男についてのおしえである。

 

聖書は明らかに汚れた女が存在すること、その女と寝ることについて語ります。新約の理解で言うなら、汚れた女、教会が存在することについて預言しているのです。それで、私たちは数ある教会の中に明らかに汚れた女、教会と呼ばれる教会があることを語るのです。

 

この女、教会との関わりを断ち、汚れからきよめられる者は幸いです。

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

-以上-