サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 

第43章 牛を売る 

 

~嘘つきあがない教理を語る牧師や神父の下で信仰を続けていくなら、捧げものとしての祈りや奉仕は神の前に無効となる~ 

 

【テキスト】ヨハネの福音書2:1317

13.ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

14.そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、

15.細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、

16.また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

17.弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。

 

 

 

本日は「牛を売る」という題でメッセージします。

 

宮きよめの記事から学んでいきたいと思うのです。

 

テキストに沿って見ます。

 

13.ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

 

この出来事、イエスが商売をする人々を宮から追い出したことは、過ぎ越しの祭りが近づいた時に行われます。この祭りと主のされたこととが、関連のあることが想像できるのです。

 

過ぎ越しの祭りは、小羊がほふられることと関係しており、ほふられることは、あがないと関係しています。そしてもう一つ、あがないとは、買い取ることです。このことが今回のトピックの伏線としてあります。

 

14.そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、

 

さて、この箇所で主イエスは我々にとっては、思いがけない姿、怒りと叱責をあらわされます。さらにことばだけでなく、実際に縄のムチで商売人たちを追い出したりまでしています。このことは、愛の方である、イエスとかけ離れている姿に見え、思い掛けない印象を我々は受けます。イエスは見えない神の形ですから、言い方を変えると、ここでは、神御自身の怒りが燃え上がっているとも理解できます。この怒りを目の前にし、それで、我々はこのこと、宮で行われていたことは、尋常でないことであることを知るのです。いったい、何が問題なのでしょうか。

 

「牛や羊や鳩を売る者たち」

 

売るとは買うと反対のことばです。そして、あがない、すなわち買い取ると反対のことばなのです。すなわち、ここではあがないと反対のことが行われている、そのようにたとえを理解できます。イエスは人々をあがなうため、買い取るために来られたのですが、その宮の中では何と反対のこと、羊や牛を売り払うことが行われていたのです。具体的には、どういうことか?宮は神を礼拝するところとして今の教会のたとえでしょうか。その中で、イエスのあがないを否定し、羊や牛でたとえられるクリスチャンを売り払うようなことが行われる、そのようにたとえを理解できます。

 

もっとわかりやすく言うと、どういうことなのでしょうか。

 

あがないは買い取ることですが、以下の行為は人々を売り払う、あがないから遠ざける行為です。

 

*死後の地獄は存在しないというカトリックの教え

 

これにより、人々は地獄が存在しないなら、死後を恐れる必要はない、それなら特別にキリストのあがない、救いなど必要ではない:として、キリスト以外の教え、仏教やらヒンズー教もオッケーという、間違った結論に入る。

 

*カトリックのれん獄の教えや、セカンドチャンスのように、この世で罪や問題があっても、心配ない。次の世で、挽回できるからという、誤った教え

 

これにより、人々は今の現世でしゃかりきにキリストのあがないを求めることはないと、誤った結論に入る。

 

*社会的な福音、救いと言う教え

 

個々の人が救われるより、社会の変革が必要と説く教え。これは、ヒューマニズムであり、キリストのあがないを不要とする。

 

上記のようなことをする人々は、自分では正しいことをしていると誤解しているのでしょうが、しかし、実際は、人々を真の救いから遠ざけ、売り払い、結果、すさまじい神の怒りの下にいることを理解すべきです。

 

「両替人たちがすわっているのをご覧になり」

 

両替人の何が問題なのか?このことばにもたとえの連鎖があります。両替人は、金と関係があり、金はあがない、買い取ることと関係します。そして両替人は、金を変換するものです。すなわち、あがないの代価を別のものと変えてしまう人々のたとえです。

 

私たちのあがないは、尊い小羊イエスの血なのですが、それを両替人は別のものと変えるのです。

 

行いを強調し、行いが救いに不可欠とするカトリックやら、ものみの塔の行いの教えは、この両替人のわざであり、イエスの怒りの対象です。また、罪の人前での告白などを救い、あがないに加えるのも同様に神の怒りを買います。また、救いだけではだめ、きよめ、聖化が必要などというウェスレー系のヨタ話も、この類い、両替人の呪われたわざです。これらは神の怒りを買う行いであることを正しく知るべきです。

 

15.細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、

 

この時、宮の商売人の下にあった、羊も牛も皆宮から追い出されてしまいました。これは、語りかけのあることばです。具体的には、もし我々が牛や羊を売る商人すなわち、嘘つきあがない教理を語る牧師やら、神父なりの下で信仰を続けていくなら、いずれ宮から追い出される羊や、牛となる可能性があるのです。宮から追い出される羊、牛となるならどうなるのでしょう?宮は神に仕え、祈りの香をたくところですが、もし追い出されるなら、我々の祈りも奉仕も、もう神の前に無効となるのです。

 

それは、宮の奉仕、ささげものとして、神に認められなくなるのです。何と恐ろしいことでしょう。しかし、まさにこのことをこの箇所は語っているのです。神を恐れなければなりません。

 

16.また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 

ここでは鳩を売るもの、鳩売り商人が特別に個別で非難されています。このことは何を指すのでしょうか?鳩はイエスが洗礼を受けたときに御霊が鳩のように下ったという表現からも、霊的なことを指すと理解できます。

 

ここではイエスに非難されているので、ろくな霊ではない、逆に教会の悪霊まがいの霊を持ち込む人々のたとえと理解できます。鳩売り商人がたとえていることは、今の時代で言えば、金粉、金歯のしるしを持ち込みたっぷり儲けている悪霊聖会屋のことと理解できます。このような人々は、神に喜ばれるのではなく、逆にイエスに宮から追い出されるのである、このことを理解すべきです。

 

やれピーター・ワグナー、悪霊の第三の波とか、ベニー・ヒン、ビル・ハモン、ラインハルト・ボンケなど悪霊の器をさんざん日本に持ち込み、「すばらしい霊の器が日本に来ました」なんて完全に勘違いなことを言っている聖会屋やら、その関係者は、イエスの怒りを買っており、いずれ、いや、もしかしたら、もう既に神の宮から追い出されていることを重々理解すべきです。

 

17.弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。

 

このことばはどんな意味なのでしょう。この箇所は以下の詩篇の引用です。

 

参照 詩篇69:7-14

7.私は、あなたのためにそしりを負い、侮辱が私の顔をおおっていますから。

8.私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。

9.それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。

10.私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私へのそしりとなりました。

11.私が荒布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種となりました。

12.門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました。

13.しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。

14.私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。

 

この箇所では、「それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。」と書かれています。この箇所で、言わんとしていることは、神の家を思う熱心な人々が、実はわざわいとなり、また、真に神に従う人をそしるようになるということです。

 

一つ今の時代、これからの時代に関して知らなければならないことがあります。これから、キリスト教が盛んになってくるということです。熱心な人々が出てくると言うことを知らなければなりません。ヨエルの軍隊を始め、多くのクリスチャン弟子が訓練され、熱心にされ、熱狂的になっていくでしょう。そして、これらの熱心な人々は世界のキリスト教会に災いをもたらすでしょう。

 

なぜなら、彼らが惑わされた教理、誤った霊に導かれるからです。上記箇所で言う鳩売り商人、羊、牛を売る者たちの下で訓練されるからです。

 

かつて、中国を襲った悲惨な時代、文化大革命の時代、災いは熱心な青少年から来ました。殺人大魔王毛沢東により組織され、洗脳された青少年は、毛沢東語録を片手に教師、地主、支配階級をつるしあげ、傷つけ、殺したのです。

 

別の言い方をするなら、毛沢東は自分の支配を確立するために青少年を利用し、洗脳したのです。

 

同じ日、恐るべき洗脳青少年が災いのために用いられる日が来ようとしており、その日が背教のキリスト教会に対して用意されていることを知りましょう。現在、起きているチャーチスクール、ホームスクールのムーブメント、テキストはどうもこの洗脳と関係があるように思えます。

 

そしてその結果、真の信仰者も試みを受けるようになります。上記詩篇の箇所は、その日を預言したものでしょうか。

 

この日をさして主はかつてなく、今後もない困難な日と言われたのかもしれません。この日は黙示録においても、いなごの軍隊の日として預言されています。その日、洗脳された何と2億の人々が起きます。

 

さあ、終末の最後の戦い、永遠の命の争奪戦が起きようとしています。その日のために備える者は幸いです。

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

-以上-