サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 

第57章 曲がった時代から救われる

 

~惑わしの霊が覆う、曲がったこの時代、救われなければ滅びは目前~

 

【テキスト】使徒の働き2:3741

37.人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。

38.そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

39.なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

40.ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

41.そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

 

 

本日は、「曲がった時代から救われる」という題でメッセージをしたいと思います。

 

37.人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。

 

この日、ペンテコステの日、ペテロのメッセージを聞き、多くの人が心を刺されました。そして、自分たちは、どうすべきか聞いたのです。

 

38.そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

39.なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

 

その彼らに対して、ペテロは悔い改め、方向転換することを勧めました。それは、彼らがそのまま、悔い改めのないまま歩むなら、滅びに至るからです。

 

40.ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

 

さて、このことばですが、ペテロは自分たちがまさに存在する、今いる時代に関して、それは、曲がった時代であることを語りました。

 

そして、その時代から救われることを勧めたのです。

 

このことを考えてみたいと思うのです。言わんとしていることはこういうことなのでしょうか。

 

たとえば、時代ではなく、国を考えるなら、その国に関しても色々な種類の国があります。真面目な国、国民皆が勤勉でよく働く国、それから、いわゆる悪の枢軸国とか、ならず者国家などがあります。

 

さて、同じ国でもその時代によって、良い時代、悪い時代があります。

 

このペテロの時はどういう時代かと言うと、彼の言うように、「曲がった時代」なのです。

 

福音書を読む限り、この時代はたしかに曲がった時代であり、他の時代には起こさなかった罪を犯しています。それは、他でもない王殺し、また、神の子であるイエス・キリストを殺したという大罪です。他にも邪悪な時代はあったのですが、この大罪はこの時代、ペテロの時代にしか起きなかったことなのです。

 

「この曲がった時代から救われなさい。」

 

ペテロはこの時代、曲がった時代に住む人々に対して、この曲がった時代から、救われることを勧めました。

 

時代から救われる?少し抽象的な概念ですが、しかし、このことを考えましょう。言わんとしていることは、こういうことでしょうか。この曲がった時代、世代は、あたかも氷山にぶつかって沈没した、豪華客船タイタニックのように、この時代は破滅、裁きに向かっているということです。しかし、タイタニックに乗ることを免れた客は、その災害、滅びから免れ、救われます。同じように、この曲がった時代から、救われるよう、我々は求めていくべきなのです。

 

主イエスの時代、あらゆることが曲がっていました。教理は曲がり、霊も曲がり、おかしな霊が惑わしを行っていたのです。そして、この時代の祭司たち、律法学者たちの結論は、「ナザレのイエスはキリストではない」というものでした。しかし、その時代の結論は間違っていました。なぜ、間違えたのか?彼らの教理も霊も全てが曲がっていたからです。

 

それで、その時代の平均的な神の民、その時代の教理を持ち、その時代の歩みに合わせ、その時代の霊を受けている人々は、みな滅んだのです。

 

あたかも氷山にぶつかったタイタニック号のように、海のもくずとなったのです。

 

ですから、この時代の人々は、この悪い時代から「救われる」必要があったのです。同じことが、今の時代に関しても言えます。

 

何を言っているのかと言うと、今の時代も同じく曲がった時代なのです。教理も曲がり、信仰も曲がり、霊も曲がった時代なのです。そして、それゆえに今の時代もイエスの時代と同じ運命を辿ることを知るべきなのです。

 

この時代のあらゆる事柄は曲がっています。教理は曲がり、カトリックでは、もう地獄は無い、と言っています。また、艱難時代に関して警告したキリストの教えは曲げられ、我々クリスチャンは、艱難には会わないという艱難前携挙説が花盛りです。

 

霊も曲がっており、クリスチャンを獣にするおかしな獣リバイバルが大流行です。

 

ですから、私たちは同じく、この曲がった時代から救われる必要があるのです。そうでないなら、再臨の主に正しく対応することが難しいのです。かつての日、イエスの時代は、曲がった時代であり、それゆえ、正しいキリストの来臨、初降臨に正しく対応することができませんでした。教理が曲がっており、目も曲がっており、正しい方が正しく見えなかったのです。

 

同じことが終末の時代に再現するでしょう。心も霊も教理も曲がっている人々は、正しく再臨の主に対応できないのです。

 

ですから私たちは、この曲がった時代から救われなければならないのです。

 

私たちはこの時代を覆う霊、惑わしの霊から救われなければなりません。おかしな霊が終末に関して惑わしを語り、みなすっぽり、その惑わしに捕らえられているのです。いわく、クリスチャンと名が付けば、救いから落ちることはない。いわく、終末の艱難の前に教会は挙げられる、獣の国はヨーロッパうんぬん。

 

これらのインチキ教理は相まって、終末の日のクリスチャンに惑わしをもたらし、キリストの再臨に正しく対応することはできないでしょう。

 

私たちはこの曲がった時代、滅びに突き進む、この時代から救われなければなりません。そうでないなら、滅びは目前なのです。

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

-以上-