サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 



第71章 ヤロブアムの誤り



 



~ヤロブアムの誤り、それは、みな今のカトリックに誤りに通じている~



 



【テキスト】Ⅰ列王記12:133



1.レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするため、シェケムに来ていたからである。



2.ネバテの子ヤロブアムが、そのことを聞いたころは、ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにおり、エジプトに住んでいた。



3.人々は使いをやって、彼を呼び寄せた。それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、レハブアムに言った。



4.「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」



5.すると、彼はこの人々に、「行って、もう三日したら私のところに戻って来なさい。」と言った。そこで、民は出て行った。



6.レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに相談して、「この民にどう答えたらよいと思うか。」と言った。



7.彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」



8.しかし、彼はこの長老たちの与えた助言を退け、彼とともに育ち、彼に仕えている若者たちに相談して、



9.彼らに言った。「この民に何と返答したらよいと思うか。彼らは私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください。』と言って来たのだが。」



10.彼とともに育った若者たちは答えて言った。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください。』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。



11.私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。』と。」



12.ヤロブアムと、すべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が、「三日目に私のところに戻って来なさい。」と言って命じたからである。



13.王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、



14.若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はお前たちのくびきを重くしたが、私はお前たちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」



15.王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。



16.全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った。民は王に答えて言った。「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。エッサイの子には、ゆずりの地がない。イスラエルよ。あなたの天幕に帰れ。ダビデよ。今、あなたの家を見よ。」こうして、イスラエルは自分たちの天幕へ帰って行った。



17.しかし、ユダの町々に住んでいるイスラエル人は、レハブアムがその王であった。



18.レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは、彼を石で打ち殺した。それで、レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。



19.このようにして、イスラエルはダビデの家にそむいた。今日もそうである。



20.全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。



21.レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。



22.すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。



23.「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言え。



24.『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。



25.ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。



26.ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。



27.この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」



28.そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」



29.それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。



30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。



31.それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。



32.そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。



33.彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。

 



本日は「ヤロブアムの誤り」というタイトルでメッセージしたいと思います。



テキストに沿って見ていきます。



 



1.レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするため、シェケムに来ていたからである。



2.ネバテの子ヤロブアムが、そのことを聞いたころは、ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにおり、エジプトに住んでいた。



3.人々は使いをやって、彼を呼び寄せた。それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、レハブアムに言った。



4.「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」



5.すると、彼はこの人々に、「行って、もう三日したら私のところに戻って来なさい。」と言った。そこで、民は出て行った。



6.レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに相談して、「この民にどう答えたらよいと思うか。」と言った。



7.彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」



8.しかし、彼はこの長老たちの与えた助言を退け、彼とともに育ち、彼に仕えている若者たちに相談して、



9.彼らに言った。「この民に何と返答したらよいと思うか。彼らは私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください。』と言って来たのだが。」



10.彼とともに育った若者たちは答えて言った。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください。』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。



11.私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。』と。」



12.ヤロブアムと、すべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が、「三日目に私のところに戻って来なさい。」と言って命じたからである。



13.王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、



14.若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はお前たちのくびきを重くしたが、私はお前たちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」



 



ここで書かれているのは、ダビデ、ソロモンへと続いたイスラエルの国が2つに分裂した日のことです。この国は2つに分裂したのですが、その経緯がここに書かれています。



 



15.王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。



16.全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った。民は王に答えて言った。「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。エッサイの子には、ゆずりの地がない。イスラエルよ。あなたの天幕に帰れ。ダビデよ。今、あなたの家を見よ。」こうして、イスラエルは自分たちの天幕へ帰って行った。



 



この日、ソロモンの子である王レハベアムに反抗してイスラエルの大部分の部族は、彼のもとを去ってしまいました。これが、旧約の時代の神の民の分裂の経緯です。



 



ここで、彼らの言う「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。」とは意味の秘められたことばです。ダビデは王としてのキリストの型です。ですからこの日、イスラエルの民がダビデと無関係の道を歩むと宣言したことは、すなわちキリストと無関係の道を歩むと宣言したことに通じます。



 



現代の北イスラエルに通じるカトリックの歩みを簡単に言えば、それは、キリストと無関係な歩み、そう言えます。



 



彼らカトリックは、あらゆる教えをあちこちから受け入れています。すなわちローマの皇帝礼拝に通じる法皇崇拝、また、ローマの女神崇拝に通じるマリヤ礼拝、そして、ヒンズー教や仏教まで、彼らは取り入れているのです。しかし、不思議なことには、キリストに単純に頼るということからは、逸脱しています。



 



「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。」とのことばは、まことに現在の北イスラエル、カトリックにおいて成就しているのです。



 



17.しかし、ユダの町々に住んでいるイスラエル人は、レハブアムがその王であった。



 



イスラエルの大部分の人がダビデの子である、レハベアムから去ってしまい、ただ、ユダのみが残りました。ダビデの正統な子孫は少数派になってしまったのです。



 



このことは、現在のカトリックとプロテスタントの関係を考えるのに参考になる箇所です。多くのカトリックは、自分たちが正当派であり、プロテスタントは異端者であり、分裂派であると言います。悲しいことにはプロテスタントにもそんな嘘を真に受ける人がいます。しかし、このような論調は聖書的な視点と異なります。



 



旧約の時代において、少数のユダにこそ、ダビデ以来の真の王朝が残っていたのです。そして、北のイスラエルにはイスラエルという正統な名前が残り、かつ多数派ではあっても、しかし、ダビデ以来の正統な王朝は残っていないのです。



 



同じく現在のキリスト教の2大勢力、カトリック、プロテスタントを考えましょう。カトリックの方が人数も多く、歴史的にも、この世的にも認められているように見えますが、神の前には違います。ダビデ、すなわちキリスト以来の聖霊にある歩みに留まっているのはプロテスタントであり、彼らにこそ、キリスト以来の正統な教えが残っているのです。



 



18.レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは、彼を石で打ち殺した。それで、レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。



19.このようにして、イスラエルはダビデの家にそむいた。今日もそうである。



 



イスラエルがダビデの家に背いたこと、それは今日もそうであることが書かれています。今日、すなわち2010年の今でもそうであると理解できます。このことは本当です。現在の北イスラエル、カトリックは、今でもダビデ、キリストに背いた歩みをしており、悪霊マリヤの霊を拝み、インチキ法皇により、改ざんされた教理をおしいただいています。彼らは今でもダビデ、キリストに背いています。



 



20.全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。



 



この日、イスラエルは、ヤロブアムを王として迎え入れました。このことは、大きな意味のあることです。何を言っているのかと言うと、王の血筋の問題です。ヤロブアムはダビデの血筋とは何の関係も無い人間です。その男がイスラエルの王となったのです。このことは問題です。ダビデと血縁的に無関係の人間が王となる、それは、すなわちキリストと無関係、極端なことを言うと救われていない人間がカトリックの王となる、そのことを語ります。



 



このことは現に成就しています。今のカトリックの法皇たちを見ると、救われているのかどうか、どうも怪しいです。マリヤを加えた聖四位一体やらのヨタ教理を養護し、進化論は科学的(創世記は神話)なんて言っていたヨハネパウロ2世は、果たしてまともなクリスチャンだったのか、救われていたのか?はなはだ、疑問があります。もし、彼が救われていないなら、そのトップからしてまともにキリストを信じていない、とんでもない背教の教会、それがカトリック、そういうことになります。



 



それに反して、ユダの王の特徴はその最後の王に至るまで、ダビデの直系の子孫であることです。それは一人の例外もありません。それは、また、語りかけがあり、プロテスタントはたとえ人数が少なくても、しかし、キリストと血縁関係がある、身内の宗教である、そういうことです。どちらに御心があるか?言うまでもなく、プロテスタントです。



 



21.レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。



22.すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。



23.「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言え。



24.『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。



 



ここで、ソロモンの子、レハブアムは、分かれたイスラエルと戦い、この分裂を回避しようとしました。しかし、主のことばは意外なものでした。「わたしがこうなるようにしむけたのだから。」と言われるのです。



 



ですから、このことを通して我々は知らなければなりません。旧約の時代、北のイスラエルとユダが分裂したことは神から出たのです。単に人間的な思惑だけのことではないのです。



 



そして、新約の分裂、プロテスタントとカトリックの分裂に関しても知らなければならないのです。それは、このこともやはり、神から出たこと、そのことです。そして、もし、このこと、新約の教会の分裂も神から出たことなら、我々は理解すべきです。人間的な思惑やヒューマニズムに立ち、何でもかんでも教会の一致として、プロテスタントとカトリックを結び付けよう、エキュメニカルを推進しよう、とすることには、神の御心が無いのです。



 



25.ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。



26.ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。



27.この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」



28.そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」



29.それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。



30.このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。



 



イスラエルの王となったヤロブアムは、人々がユダへ行かないようにと、金の小牛を2つ作りました。そして、それを用いて人々がエルサレムへ行くことを阻止することができました。これは、現代の北イスラエルであるカトリックのしたことでもあります。彼らカトリックは、もし、何もしなければ人々が自然にプロテスタントに行き、カトリックのことなど相手にしないことを理解し、それを阻止するために、子牛すなわち、器崇拝、法皇崇拝を始めたのです。



 



結果、人々は神よりも子牛を拝むようになりました。同じく現在の北イスラエル、カトリックは神の聖書よりも、法皇のことばを崇めています。法皇が地獄は無いと言えば、聖書の明確なことばを投げ捨て、その子牛、法皇の言葉を正しいとしています。



 



31.それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。



 



さて、北イスラエルの神への礼拝は、神の明白な命令、レビ人が神に仕えるとの教えを投げ捨て、一般の民から祭司を任命することになりました。このことは大きな問題です。モーセの律法の中で、何度も何度も神に仕える者はレビ人でなければならないことが強調されているからです。レビ人の意味合いは何でしょう?それは、レビ、くっつくとの意味合いどおり、主につく人のこと、新約の12弟子のように、主に堅くつく人々のこと、弟子のことです。しかるに北イスラエルにおいては、レビではない一般の人が祭司の職につくことになりました。また、同じく、今のカトリックも主につく弟子というのではなく、ただただ、この世についた一般の人も神父になれるようになっているのです。そして、それらの一般の人はあろうことか、教会内でスキャンダルまで起こすようになっています。



 



32.そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。



 



彼、ヤロブアムは、勝手に祭りの日を決め、勝手に作った子牛にいけにえをささげ、彼が勝手に任命した祭司を神に仕えさせました。要するに、北イスラエル、ヤロブアムの礼拝とは、神の定め、聖書の定めとは別物、勝手なものなのです。勝手、ということばに尽きるのです。



 



そして、それは、カトリックに通じます。今カトリックの人が神を礼拝していないかと言えば、神を礼拝しているのでしょうし、また、もしかすると熱心に礼拝しているのかも知れませんが、しかし、それは「勝手な礼拝」なのです。アッシジの教会には仏像が運び込まれています。要するに仏教もキリスト教も何でもよいわけなのです。また、カトリックでは、地獄は無いことになっています。聖書とは真っ向から対立する教えです。要するにカトリックでは聖書にさえ、従わないのです。「勝手な礼拝」なのです。



 



33.彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。



 



勝手に考え出した日に、神に礼拝していることがここで書かれています。まさにカトリックも同じです。カトリックが守っている日もみな、ほとんど聖書とは無関係、聖書の神が命じているとは無関係な記念の日が多いのです。聖書とは無関係な聖人を彼らは大いに記念し崇めています。



 



まとめとして、ヤロブアムの誤り、それは、みな今のカトリックに誤りに通じていることを知りましょう。



 



終末における主の御心をおこないましょう。



 



-以上-