サマリヤの女
カトリックへの警告!!
第14章 異邦人がエルサレムを踏み荒らす
~「異邦人がエルサレムを踏み荒らす」とは教会が悪魔礼拝者などにより踏み荒らされていくこと~
【テキスト】ルカの福音書21:22-24
22.これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
23.その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
24.人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
本日は、「異邦人がエルサレムを踏み荒らす」という題でメッセージします。
終末の日、「異邦人がエルサレムを踏み荒らす」ことが聖書に書かれています。多くの教師は、これは、文字通りの中東のイスラエル国のエルサレム市が異邦人に荒らされることだと言います。もしかすると、そのような可能性もあるかもしれません。しかし、度々繰り返すようですが、主が弟子たちに「たとえを解くこと」理解することを強調されたことを忘れてはいけません。
このことを故意に無視し、たとえを理解する人々を「霊的解釈は神学的におかしい」などと、全く聖書の意図に反した非難をする人々は、敵の軍門に下った情けない、偽り者であることを知らなければなりません。
たとえを理解することを念頭において、上記、テキストを順に見ていきましょう。
22.これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
この日は書かれている全てのことが成就する報復の日です、書かれている全てのこととは何でしょう。いわく、イザヤ、エゼキエル、エレミヤ等に度々書かれている、淫婦なる「神の民」への裁き、報復の日なのです。
(聖書はたとえの中に真理を隠している)
(キリストは たとえ で語られた)
23.その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
「女」は教会のたとえです。「身重の女と乳飲み子を持つ女」は、「成人した堅い食物を食べられる子供を持った女」とは違います。逆に「乳を必要とする」子供たちを持つ、女、教会なのです。たとえを理解しない、信者、牧師に満ちた教会は、この日、悲惨です。なぜなら、聖書の終末の記事はたとえによって書かれており、たとえを理解できない教会には、救われるすべがないからです。ダニエルの日に、王の夢を解くことのできなかったバビロンの知者に死刑が宣せられたように、この終末の日、
(王の夢を解く事が出来なかったバビロンの智者たちは死を宣告された)
たとえを解けるかどうかは、文字通り、命の行く末を決めることだということを知らなければなりません。
「この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。」と書かれています。この地は、教会のある場所、この民は新約の神の民のことです。彼らに神の怒りが臨みます。
24.人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
(偽りの教理に導かれると、滅びに直結する)
「剣」は、「御霊の剣、すなわち神の御言葉」と書かれているように、神のことば、及び教理を指すたとえです。ですから、「剣の刃に倒れる」とは、偽りの教理に倒されていくことを指すたとえと思われます。最近、Q資料だの何だの、神のことばに素直に頼ることをぐらつかせるような教えが多いですが、このような見え透いた偽りにふらついていく人は、それこそ「剣の刃に倒されて」いく人々です。
「捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ」とはどのような意味合いでしょう。私たちが敵と戦い、破れれば捕虜になります。日本兵がアメリカ軍に破られれば、その国の捕虜となるのです。旧約の神の民も、同じ意味合いで、敵に破れてその国につれて行かれました。アッシリアに破れれば、アッシリアに、バビロンに破れれば、バビロンに神の民は捕虜として連れて行かれたのです。バビロンは異邦の地であり、占星術、魔術を始めとする、多くの悪魔的な教えがありますが、捕虜とされた以上、神の民はその境遇に甘んじなければならないのです。
さて、これらの旧約の事柄は、今の時代の「捕虜となる神の民」を理解するためのヒントです。今の時代も神の民はその敵に破れたため、敵の国に捕虜となっていることを知らなければなりません。
「私たちのどこが捕虜なのか。鎖につながれてもいないし、牢屋にも入っていないぞ」という意見もあるかもしれませんが、これらは信仰に関するたとえなのです。
(誤りの教え)
例えば、カトリックには捕らえ移された人々が多くいます。聖書は「地上の誰をも父と呼ぶな」と明白に語っているのですが、彼らは別の国へ連れていかれ、すなわち、人間を「パパ様、パパ様」などという国へ連れて行かれ、そこで捕虜となっているのです。
また、ある人々は、「創世記は神話だ、進化論は科学的だ」などという、神の言葉への信仰とは無縁の国にいます。彼らも他の国の敵の軍門に下り、信仰も忠誠も奪い尽くされてしまった情けない敗残者、捕虜です。
(キリストから離そうと、偽りを教える偽教師達が多数存在する)
さて、また「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」とは何を言わんとしているのでしょう。
エルサレムは、神の民の国、ユダの中心の町です。そしてそれはまた、神の御心の中心です。しかし、そこが「異邦人に踏み荒らされ」る、神を信じてもいない人々に踏み荒らされるというのです。このことは終末に当てはめて、どのような意味合いがあるのでしょう。それは、他でもない、神の愛された教会の最も中心的な部分も異邦人、すなわち神を信じてもいない、キリストを受け入れてもいない人々に占領される、そのことを述べているのです。
このような事柄は今、起きているのでしょうか?角笛は、このことが今、まさに起きている事柄であることを伝えます。
(マリヤは神ではない。ただキリストこそ我々の贖い主!神だ!)
例えば、ペンテコステ、カリスマの働き人として有名なキャサリン・クールマンは、ウイッチ、すなわち、魔女でした。彼女の墓はロサンジェルス郊外のグレンデールの一般の人が近付けない場所にあります。その墓は何とフリーメーソン、悪魔礼拝者達の眠る特別な墓の一角にあるのです。某牧師が、その場所を探し、写真迄、証拠に撮ってきたので、はっきり事実と分かります。(私も1枚その写真を持っています)また、角笛はさらに、就任後、33日後に暗殺された善良なヨハネパウロ1世の後、長い間、法皇の座を占めている現法皇は、フリーメーソン、すなわち悪魔礼拝者であることを述べます。彼の下で教会は進化論、すなわち、獣も人も同じであるという偽りの教義を受け入れることになりました。また、ファチマのマリヤなる悪霊を教会は受け入れることになりました。まさに、彼は獣法皇です。しょっちゅう外れるマリヤの予言を鵜呑みにし、「これは、神の母なるマリヤの霊だ」などと、盲信する人々は、聖書もまた、その預言の成就も知らない人々でしょう。聖書をよく読み、その預言とその成就がどのレベルのものかをたしかに見るなら、こんなにひょこひょこ外れる「神の預言」はあり得ないことが分かるでしょう。「神の母」どころか、いいところ「狐の母」位ではないでしょうか。
さて、このように教会の中心を占める彼らが悪魔礼拝者である以上、キリストを礼拝しているはずがないのです。すなわち、彼らは「異邦人」なのです。しかし、彼らは、キリスト教の中心を占め、人々は彼らの教えを盲目的に受け入れています。
(偽教師達は大いに活躍し、それに騙される多くの人達がいる)
すなわちここに、「エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」との預言がまさしく、成就していることを私たちは見るのです。彼らはたしかにエルサレム、神の愛された教会を踏み荒らしており、教会は彼らの悪魔的な霊のリバイバルにより汚され、偽りの教理の中で迷わされているのです。
(サタンのサイン。今、聖会の中に堂々とサタンの働き人が登場している)
悪魔の終末に関する一つの罠は「終末は、まだ先だと思わせること」のようです。そのため、彼は神の民が騙されるように用意周到な偽りの論理を用意しています。「終末の日に中東のイスラエルが回復される、エルサレム市の神殿が再建される」というのも、その嘘の一つです。それなら、まだこの神殿は再建どころか、着工もされていないので、終末はまだずっと先ということになります。
しかし、主はたとえについて語っており、主のたとえに関することばを投げ捨て、このような見えることのみに目をとめる人々は騙されていきます。
事実、主はたとえについて語っており、「エルサレムが異邦人に荒らされる」との預言は今まさに教会の上に実現していることを見なければなりません。そうです。もうその時は到来しつつあるのです。
盲目な者にならず、目を覚まさなければなりません。
(サタンは初めから人殺しであり、偽りものである)
終末における主の御心をおこないましょう。
-以上-