サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 

第48章 悪魔を父とするクリスチャン 

 

~イエスを信じるクリスチャンであると語りながら、なおかつ悪魔を父とする人々について~ 

 

【テキスト】ヨハネの福音書8:4048

40.ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。

41.あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」

42.イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。

43.あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

44.あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

45.しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。

46.あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。

47.神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」

48.ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。」

 

 

本日は、「悪魔を父とするクリスチャン(2)」として、この件をさらに見ていきたいと思います。

 

40.ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。

 

この悪魔を父とするクリスチャンたちの特徴がここに書かれています。それは、他でもない真理を語る方、神からの方、キリストを亡きものとするということです。残念ながら、この類いのクリスチャンは日本にも沢山います。すなわち、真理の方であり、真実の方であるイエスを嘘つき呼ばわりし、悪評を立て、亡きものとすることに精を出すクリスチャンです。

 

史的イエス、ユダの福音書、ダ・ヴィンチ・コードなどに賛成し、キリストは実は十字架にかかっていない、復活もしていない、要するに嘘つきであると語る人々がそれです。日本の多くの神学校、ミッション系学校の神学部は、この類いの嘘を喜々として語っています。ですから、この手の学校は、「悪魔を父とするクリスチャン養成所」みたいなものなのでしょう。高いお金を払ってこんなところに献身者を入学させるのは考えもの、というより、全く愚かな行為です。

 

「アブラハムはそのようなことはしなかったのです」

 

アブラハムはそのようなことをしなかったので、その子孫であるイスラエル人は、キリスト殺しに関わるべきではありません。同じく霊的イスラエルである今の時代のクリスチャンも、そうすべきではないのです。

 

ですからキリストを嘘つき呼ばわりする行い、近代神学、自由神学などを標榜する輩は、真の意味では、アブラハムの子孫、霊的イスラエルと呼ばれる資格の無い人々です。彼らの正しい名前は、悪魔を父とする人々です。

 

41.あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」

 

イエスは、これらのクリスチャンは、実は彼らの父、すなわち悪魔のわざを行っているのであると語りました。ですから、クリスチャンと名があっても、悪魔のわざを行うことはあり得るのです。なぜなら、まさにキリストがそう言っているからです。

 

そしてそのように考えると、今迄理解不能だった、ある種のクリスチャンの言動も理解できます。なぜ、ある種のクリスチャンは、わざわざ信仰を覆すようなことを語るのでしょうか?いわく、棄教することが、あたかも神に喜ばれるようなことを書くカトリック作家、はたまた、ヒンズー教徒はヒンズー教徒のまま死ぬべきである、すなわち唯一の救い主、キリストを受け入れる必要はないと語る、某カトリックシスター、彼らの父は真の神ではないのかもしれません。

 

42.イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。

 

「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。」と書かれています。事実、真に父なる神を父とするクリスチャンはキリストを愛します。しかし、そうでないもの、悪魔から出たものの特徴はキリストを憎むことであることが分かります。このもっとも典型的な例は、キリストを憎み、あらゆる罵詈雑言を吐く、タルムード主義者、偽ユダヤ人です。

 

キリスト教界に潜り込み、すぐ、正体がバレて、大恥をかく愚か者のことです。これらの者は、実際はクリスチャンではないのですが、しかし、実際、自分はクリスチャンであると思い込んでいる、しかし、悪魔を父とする人々がいます。

 

すなわち、キリストの復活は無かった、奇跡は無かった、すなわちキリストは、ただの嘘つき、ホラ吹き、誇大妄想であると語る人々です。日本の多くの神学校にバッコする、背教者の面々です。彼らはこのようにして、キリストを否定し、憎み、悪評を浴びせるのは、もちろんキリストを憎んでいるからです。そして、キリストを憎む者は、上記御言葉によれば、悪魔を父とする人々なのです。

 

ですから、私は御言葉に沿って、はっきりとしたことを言います。

 

残念ながら、日本の神学校、ミッションスクールは、悪魔を父とする人々により、いつの間にか占領されてしまいました。これらの学校に通わせることにより、しっかりした信仰を持った若い信仰者の信仰を覆す愚は避けるべきです。

 

43.あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。

 

なぜ、これらの冒涜教師どもが再臨は無い、復活は無いなどとのヨタ教理を一生賢明語るかと言うと、彼らはキリストのことばが理解できない、分からないからなのです。それはなぜかと言うと、「あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」

 

悪魔を父とする者、冒涜教師どもは聖書を読んでも、そのことばに耳を傾けることができない、そのために、ユダの福音書は真実だののヨタ話にひかれていくのです。

 

44.あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

 

なぜ、これらの背教新学者、ゲヘナ行き確定の愚かな教師どもは、わざわざキリスト教の神学校にまで入り込み、嘘神学、ヨタ神学を語り、多くの若いクリスチャンの信仰を覆しているのでしょうか?その理由がここに書かれています。

 

それは、彼らが、「父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。」

 

悪魔の欲望は、一人でも多くの純粋な信仰者を覆し、ひっくり返すことであり、それを彼らは神学校やら、ミッションスクールを通して、実現しているのです。

 

「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。」

 

これらのヨタ神学の毒にあたって、信仰が覆されるとどうなるでしょう?当然ながら、永遠の命が危ないのです。始めからの人殺し、悪魔の願いが叶ってしまうのです。

 

彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

 

なぜ、悪魔を父とする人々がバッコする神学校には、嘘、偽り、虚偽で固めたようなヨタ神学が次から次へとあらわれるのでしょう。キリスト教はユダヤ教の一派に過ぎないとする死海文書をもとにした偽りだの、終末論を否定する環境神学だの、女権を主張して聖書改ざんを主張するフェミニズム神学だの、飽きもせず、浅薄な嘘話が多く、それからそんな薄っぺらい嘘にすぐ同調する浅はかな神学者が多すぎます。

 

その理由がこの御言葉であり、嘘、偽りは悪魔の特徴だからなのです。だから、悪魔を父とする背教教師どもの巣窟、冒涜神学校においては、次から次へと嘘教理が繰り出されるのです。こんなところへわざわざ何年も通って、永遠の命を失う愚か者になってはいけません。

 

45.しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。

 

悪魔を父とする者は偽り者を父としているわけであり、結果として、真理であるキリストを信じません。ですから、真理であるキリストの教えを曲解し、偽りとする者はみな、悪魔を父とするものである可能性があります。

 

キリストへの忠誠を変えて、マリヤへと導くローマ法皇などは、この類い、悪魔を父とする人なのでしょう。

 

46.あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。

47.神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」

 

キリストは真理の方であり、そのことばに聞き従わない者は、「神から出た者でないから」なのです。神から出ていなければ、どこから出たかと言うと悪魔から出ているのです。

 

ですから、神のことば、キリストのことばに逆らい、聞き従わず、逆に入れ墨OK不良OKの牧師は、悪魔から出ていることになります。

 

48.ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。

 

彼らはイエスをサマリヤ人、悪霊つきと言いました。もちろんイエスはサマリヤ人でも、悪霊つきでもないのですが、しかし、サマリヤ人、悪霊つきとは、興味深い表現です。

 

サマリヤは北イスラエルの首都であり、北イスラエルは、私の理解では、カトリックの予表です。ですから、カトリックは悪霊つきであると、ここでは語られているのです。実際、カトリックと悪霊とは大いに関係があります。よくある血の涙を流すマリヤ像なんていうのは、はっきり言って、悪霊現象です。また、カトリック教徒の言う、秘儀だの、しるしだの奇跡だのは、みな、悪霊からのものが多いようです。また、変な霊現象を経験するカトリック教徒も多いようです。マリヤが現れた、キリストが現れたからといって、安心はできません。サタンも光の天使に偽装すると書いてあるからです。

 

さて、まとめますが、明らかにこのテキストが語ることは、イエスを信じるクリスチャンであると語りながら、なおかつ悪魔を父とすることはあり得る、このことと思われます。したがって、誰でも一旦、クリスチャンと呼ばれるようになったら、決して悪魔を父とすることがない、などとの考えは全く間違えであると言えます。まことに命、永遠の命に至る門は狭く、その道も狭いのです。

 

しかし、私たちはこの門を目指し、この道を目指しましょう。

 

終末における主の御心をおこないましょう。

 

-以上-