サマリヤの女
カトリックへの警告!!
第65章 その道を通らない(2)
~カトリックの教えを受け、その霊を受けることは、プロテスタントのクリスチャンにとり、永遠の命を失う結果となる~
【テキスト】Ⅰ列王記13:11-22
11.ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。
12.すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。
13.父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、
14.神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた。
15.彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。
16.するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。
17.というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」
18.彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
19.そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
20.彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
21.彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
22.主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」
本日は「その道を通らない(2)」として、この件をさらにみていきたいと思います。テキストに沿ってみていきます。
11.ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。
さて、北イスラエル、すなわちカトリックへの警告を語ったユダからの神の人と別に、ベテルに一人の預言者がいました。彼は今で言えば、カトリックの教師、カトリックの祭司を予表するものです。結論から言えば、カトリックの教えは惑わしであり、巧妙な惑わしです。そしてそれに巻き込まれ、騙されたユダ、プロテスタントからの神の人は命を失いました。これは、現代の我々に対する警告であり、我々がどう、カトリックを理解すべきかということを語っています。
12.すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。
13.父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、
14.神の人のあとを追って行った。その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた。
15.彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。
16.するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。
17.というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」
そのベテルの預言者は、ユダからの神の人に追い付き、彼にこの北イスラエルの地のパンを食べることを勧めます。ですからここは、どういう箇所かと言うと、カトリックはどのようにして、プロテスタントに属する神の人、クリスチャンを騙すかという問題なのです。
この後、ユダからの神の人は、まんまと騙され、自分の命を失います。そして今でも同じように命を失うプロテスタントが多いのです。この箇所は彼らに対する警告です。
18. 彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。
この日、ユダからの神の人は騙され、北イスラエル、すなわちカトリックのパンを食べ、水を飲みました。すなわちカトリックの教えを受け、その霊を受けたのです。結果、彼は後で、命を失うようになります。
一体、このベテルの預言者は、どのような方法でまんまとユダの神の人を騙したのでしょうか?その方法はここでは、「御使いが・・・命じた」と記されています。御使いを持ち出したのです。
この方法はカトリックで多用されている方法です。カトリックは何かと言うと、御使いの不思議なわざとか、奇跡とか、マリヤの霊だとかを言う教会だからです。しかし、たとえ御使いの不思議な奇跡があろうとなかろうと、この教会のパン、すなわち教えも、また、水、すなわち霊を受けるべきではありません。
パウロは、たとえ御使いからのものであろうと、聖書の福音に反する教え、すなわちパンを受けるなとしてこう語ります。
参照 ガラテヤ人への手紙1:6-9
6.私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7.ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
8.しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
9.私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
ですから、たとえ御使いが語ろうと、神の福音に反する教えを受けるべきではないのです。カトリックの教えの多くは福音に反しており、我々が受けるべきものではありません。ローマ法王やマザー・テレサの賛成する「キリストと共同のあがない主マリヤ」という教えは、「この方による以外救いはない」と言われたキリストの救いに対する明確な反対であり、こんな教えに同調する人々は、パウロのことばによれば、「のろわれるべき人」なのです。
19. そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。
このユダからの神の人は騙され、北イスラエル、ベテルのパンを食べ、水を飲みました。結果、彼は命を失うのです。ですから私たちプロテスタントは、たとえどのような屁理屈を聞こうと、誰が推薦しようと、この地、カトリックのパン、すなわち教えも、また、水、霊をも受けるべきではないのです。それは、命、永遠の命を失うか否かという問題なのです。
20.彼らが食卓についていたとき、その人を連れ戻した預言者に、主のことばがあったので、
21.彼はユダから来た神の人に叫んで言った。「主はこう仰せられる。『あなたは主のことばにそむき、あなたの神、主が命じられた命令を守らず、
22.主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならない、と命じられた場所に引き返して、そこであなたはパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは、あなたの先祖の墓には、はいらない。』」
さて、この時、思いがけないことが起きます。その連れ出したベテルの預言者、すなわちカトリックの預言者に神のことばがあったのです。それは、その連れ戻され、この地でパンを食べ、水を飲んだユダからの預言者は、死んだあと、その死体は先祖の墓には入らないと言うのです。
ですから、ここでも結論は同じであり、たとえ御使いの教えだから、と言われても、我々プロテスタントはこのカトリックの教えを受けるべきではないのです。もし、あえてそうするなら、たとえユダにいても、すなわちプロテスタント出身であっても、「そのなきがらは先祖の墓にははいらない」、すなわちプロテスタントの先祖が入った天の御国に入ることはできないのです。
結論として、この箇所で明らかに語られていることは、ユダ、プロテスタントの人々が、ベテル、すなわちカトリックの教え、霊をどう考えるべきか、対応すべきかという問題です。答えは明白であり、そのパンを食べても、その水を飲んでもいけないのです。
カトリックの教えを受け、その霊を受けることは、プロテスタントのクリスチャンにとり、永遠の命を失う結果となる、このことが語られていることを知りましょう。
終末における主の御心をおこないましょう。
-以上-