サマリヤの女

 カトリックへの警告!!

 



第72章 根絶やしにされる



 



~旧約のイスラエルは新約のカトリックの予表。カトリックのおかしな教えに入るなら、誰も彼も一人残さず、滅んでいく~



 



【テキスト】Ⅰ列王記16:113



1.そのとき、ハナニの子エフーにバシャに対する次のような主のことばがあった。



2.「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。



3.それで今、わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。



4.バシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」



5.バシャのその他の業績、彼の行なった事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。



6.バシャは彼の先祖たちとともに眠り、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。



7.主のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通して、バシャとその家とに向けられた。それは、彼が主の目の前にあらゆる悪を行ない、その手のわざによって主の怒りを引き起こし、ヤロブアムの家のようになり、また、彼がヤロブアムを打ち殺したからである。



8.ユダの王アサの第二十六年に、バシャの子エラがティルツァで、イスラエルの王となった。治世は二年である。



9.彼がティルツァにいて、ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。



10.ユダの王アサの第二十七年に、ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。



11.彼が王となり、王座に着くとすぐ、彼はバシャの全家を打ち、小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。



12.こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。



13.これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。

 



本日は「根絶やし」にされる、という題でメッセージしたいと思います。テキストに従ってみます。



 



1.そのとき、ハナニ(恵みある)の子エフーにバシャ(邪悪)に対する次のような主のことばがあった。



2.「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。



 



これは、北イスラエルの王、バシャに関する物語です。北イスラエルは新約のカトリックの予表ではないかと、私は思っています。バシャはヤロブアムの代わりに王になったのですが、ヤロブアムの罪を引き続き犯していました。罪?すなわち、レビ人ではない一般人を祭司にする、などの罪です。現代の北イスラエル、カトリックも同じ罪を犯しており、この教会で神父をつかさどるのは、神への献身者というよりは、一般の学識、この世の常識を持った人々です。



 



3. それで今、わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。



 



バシャの意味合いは、邪悪という意味です。ですから、カトリックの教えに従い、罪、邪悪な歩みをする人々は除き去られ、その家は除き去られます。同じように今の時代においても、神の教えに従わない家、教会は除き去られ、神の前から消えて行きます。



 



4.バシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」



 



犬は異邦人のたとえと理解できます。



 



以下では子犬が異邦人であるカナン人の女とともに語られています。



 



参照 マタイの福音書15:22-27



22.すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」



23.しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです。」と言ってイエスに願った。



24.しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」と言われた。



25.しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。

26.
すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。



27.しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」



 



ですから、カトリックの教会の中には、名目はともかく実際の行いは邪悪な人々もいますが、そのような人々の行く末は「犬がこれを食らい」すなわち、異邦人、この世のものに巻き込まれ信仰を失っていきます。



 



「野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」



 



鳥は霊的な事柄を示します。ですから、鳥に食われるとは悪霊にやられることを示すのです。今まで何度もみてきたように、この教会、カトリックに関して、神はそのおかしな教理と共に、霊的なことに関して警告をしていることを知りましょう。カトリックには、もしかすると敬虔なクリスチャンも多少はいたのかもしれませんが、その多くはおかしな霊による、しるしや奇跡、神秘、体験などに影響されている人々と思うべきです。聖痕だの、血の涙を流すマリヤだの、明らかにおかしな霊現象であり、神の霊によるものではありません。



 



5.バシャのその他の業績、彼の行なった事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。



6.バシャは彼の先祖たちとともに眠り、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。



7.主のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通して、バシャとその家とに向けられた。それは、彼が主の目の前にあらゆる悪を行ない、その手のわざによって主の怒りを引き起こし、ヤロブアムの家のようになり、また、彼がヤロブアムを打ち殺したからである。



 



手のわざとは、行いのことです。カトリックの一つの大きな特徴は、行い主義、善行、苦行、施しを奨励することです。もちろん彼らも、名目的には恵みよって救われるとは言うのですが、現実は行い主義です。しかし、ここでは、「その手のわざによって主の怒りを引き起こし」と書かれていることを知りましょう。人の手、人の行いにより、救われるとのカトリックの教えは、主の怒りを引き起すのです。



 



8.ユダの王アサの第二十六年に、バシャの子エラがティルツァで、イスラエルの王となった。治世は二年である。



9.彼がティルツァにいて、ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。



10.ユダの王アサの第二十七年に、ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。



11.彼が王となり、王座に着くとすぐ、彼はバシャの全家を打ち、小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。



 



この日、バシャ、邪悪の子エラは打たれ、その全家は打たれ、「小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。」のです。旧約の神の民、イスラエルの王の家族は皆、打たれ、一人も残らなかったのです。このことは慄然とする事柄です。これは単にバシャの家だけの問題ではないと思います。バシャはイスラエルの王であり、ある意味イスラエル全体を代表しているからです。そして、何度も繰り返すようですが、旧約のイスラエルは新約のカトリックの予表なのです。何を言っているかと言うと、今の新約の時代であっても、人がカトリックのおかしな教えに入るなら、誰も彼も一人残さず、滅んでいく可能性があるのです。



 



12.こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。



 



こうして、バシャ、邪悪なイスラエルの王の全家は、根絶やしにされました。誰も彼も、皆殺しにあったのです。こうして私たちは一つの教訓を学ぶのです。それは、たとえ、旧約のイスラエルの王であっても邪悪な道を歩むなら、根絶やしにされ、誰も彼も命を失うということです。



 



この教訓は昔の事として、他人事と思うのでなく、今の私たちの歩みにフィードバックすべきです。人のふり見て我がふり直せ、ということです。すなわち、新約のイスラエル、教会、カトリックの教会においても、もし、邪悪な道を歩むなら、いずれ、その家、教会に属するものはみな、根絶やしにされ、一人も永遠の命を得ることなどない、それを知るべきなのです。



 



13.これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。



 



「彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。」とのことです。真の神、イスラエルの神の身近にいながら、なおかつ、むなしい神々を拝み、真の神の怒りを買った彼らイスラエルは愚か者です。しかし、それにまさる愚か者は、これらの全てを知りながら、なおかつ、その教会の中で、他の神々である、マリヤや法皇、マザー・テレサ、また、過去の聖人たちを崇める、カトリック教徒であることを知りましょう。



 



彼らは神の怒りの下にあるのです。彼らの病、問題、不幸はみな、彼らのこの罪のゆえなのですが、悲しいかな、このことを彼らに教え、彼らにその罪を知らせる者がいません。



私の心は痛みます。



 



終末における主の御心をおこないましょう。



 



-以上-